2023年7月3日月曜日

ご報告

  
皆様、

 日頃から旅シネをご高覧いただき、誠にありがとうございます。
 皆様にお伝えしなければならないことがあります。

 今年の2月、旅シネ主筆の前原利行さんが急逝いたしました(享年61歳)。昨年末から体調を崩し闘病を続けていたのですが、帰らぬ人となりました。突然のことに執筆者一同、大きな衝撃を受け、深い悲しみに言葉を失いました。

 旅と音楽を愛し、世界各地を積極的に周り、多くの旅の記事や旅行ガイドを執筆してきた人でした。2003年にスタートした旅行人・旅シネでは、旅や音楽に関わる多くの映画を、明快な視点で紹介してくれました。2020年には、緊急事態宣言の中でしたが、これまでの記事をまとめた「旅シネ2000-2019 映画で旅する世界:21世紀のワールドシネマ」を本として出すこともできました。
 コロナも収束に向かい、これから新たな旅へ出ようかという矢先の訃報、本当に残念でなりません。

 心に大きな穴があいたまま数ヶ月が経った先日、ようやくお墓参りに行くことができ、お別れの言葉をかけることができました。
 主筆を欠いた今、旅シネの継続については迷いがありますが、彼の映画レビューを残しながら、今後についてはもう少し時間をいただき、前向きに検討していきたいと思っています。ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

 彼は今もどこかで旅を続けているような気がしています。
 最後になりましたが、故人のご冥福を心からお祈りいたします。


                        旅シネ執筆者
                           加賀美まき
                           カネコマサアキ
                           今野雅夫

                                                               

  2021年6月 トークイベントにて撮影

2023年1月27日金曜日

イニシェリン島の精霊

突然言い渡された絶交。
精霊舞い降りるアイルランドの島で起きる二人の男の対立の行方


The Banshees of Inisherin
2020年/イギリス
監督:マーティン・マクドナー(「スリー・ビルボード」)
出演:コリン・ファレル、ブレンダ・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
上映時間:1時間54分
公開:2023年2月27日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、ほかロードショー

●ストーリー

1923年、アイルランドの西海岸に浮かぶイニシェリン島。内戦に揺れる本土とは別に、島ではのどかな時間が流れていた。ある日、誰からも愛されるパドレイク(コリン・ファレル)が、親友コルム(ブレンダン・グリーソン)から突然絶交を言い渡される。理由がわからず困惑するパドレイクは、妹シボーンや年下の隣人ドミニクを巻き込んで関係修復を図るが、逆にコルムは頑なな態度をとるようになる。そして、「これ以上俺に話しかけたら、自分の指を切り落とす」とコルムは宣言する。両者の対立は想像を絶する事態へと進んでいく。

●レヴュー

アメリカを舞台にした『スリー・ビルボード』(2017)の印象が強いが、マ−ティン・マクドナー監督はイギリス・ロンドン生まれのアイルランド系。映画監督の前に劇作家として知られており、アイルランドを舞台にした作品を多数発表している。両親の実家があるゴールウェイ周辺を扱ったリーナン三部作(コネマラ三部作)は、高い評価を得ている。さらに、ゴールウェイの西南にあるアラン諸島を舞台にした三部作、イニシュマン島のビリー(1996年)、ウィー・トーマス(2001年)、その3つ目に用意されていたのが、本作と同名の戯曲だ。劇としては未発表だという。
また、映画界に身を移して制作された処女長編ヒットマンズ・レクイエム(2008)は、本作と同じコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンの主演キャスティングで、二人のアイルランド人の殺し屋の逃避行とその末路を描いている。できれば、本作鑑賞の前にこちらの作品を見ておくと、連動感を感じられるかもしれない。


さて、本作も前作と同様、寓話的で、心理的で、グロテスクな展開が観る者を惹きつける。「イニシェリン島」は架空の島の設定で、物語も監督の創作のようだが、実際のロケ地はアラン諸島・イニシュモア。例えば、J.M.シングが書いた紀行文『アラン島』(1907)を読んだことのある人は、その中で見聞きされる島の生活や、老人たちが語るフォークロアと似た感触を持つだろう。原題の、精霊を意味する「バンシーズ」とは、「家族が死ぬことを知らせるために泣き叫ぶ女性の精霊」のことで、劇中で出てくる老婆(主人公パドレイクは彼女を避けている)がそれを体現していそうだ。

物語の核となるパドレイクとコルムの関係だが、いくつかの重層的な見方ができそうだ。まず、二人の仲違いは、島の外、本土で起きている内戦と呼応している。1922年から23年まで、アイルランドは自由国家として承認されたにもかかわらず、英国連邦の一部のままだった。英愛条約を支持する暫定政府と、反条約派のアイルランド共和国軍(IRA)の主導権争いで内戦が勃発。それが契機となった北アイルランドをめぐる紛争は現代にまで尾を引いている。

もう一つは、宗教的・文化的側面。パドレイクの名前はアイルランドの守護聖人であるパドレイク、すなわち「聖パトリック」を簡単に思い出せる。(最近、日本でも認知されつつあるセント・パトリック・デーの信仰対象である)フィドル奏者で音楽家のコルムが作曲のために、指を切り落として差し出す行為は、創作の痛みを表すとともに、芸術というものが神に捧げるものとして始まったという起源とダブる。それまでのコルムは「神との対話」が成立していた、と捉えることもできよう。
一方で「聖パトリック」がアイルランドにキリスト教を広めたという聖人であり、コルムが彼を拒絶する=キリスト教を拒否することは、キリスト教伝播以前の「ケルト文化の復興」を意味してると考えられないだろうか。

話は戻るが、前述のJ.M.シングの『アラン島』の中で、海外からゲール語を学びに言語学者が多数アラン島を訪れたことが書かれているが、この19世紀後半というのは、アイルランド独立運動と並行してケルト文芸復興運動が盛り上がっていく時期だという。1893年にダグラス・ハイドを中心に「ゲール語連盟」がダブリンで結成される。そのメンバーの系譜に、パドレイク・コルム(1881-1972)という詩人を見出せる。偶然にも、この映画の主人公「パドレイク」「コルム」二人の名前を同時に持っている人物だ。実はこのパドレイク・コルム含む一派は、あのJ.M.シングが書いた戯曲『西の国のプレイボーイ』の上演に際し、アイルランドの悪口書かれていると批判、暴動が起きるまでの事件になり、作家W.B.イェイツらと仲違いしているという逸話がある。
ジェイムス・ジョイスとも親交があるパドレイク・コルムは、詩の他に、戯曲、絵本、民話の収集なども手がけており、後年、アメリカに居を移し、生涯を終えている。アメリカ進出を果たしたマクドナー監督が好みそうな人物ではないだろうか?

メインのキャストは全てアイルランド出身の俳優で固めている。警官の父親に虐待を受けるドミニク役バリー・コーガンの演技には毎回舌をまく。(ファレルとコーガンはランティモス監督『聖なる鹿殺し』でも共演)こうしてみると、マクドナー監督が、民族主義者とまではいかないまでも、アイルランドを表象することに並々ならぬ情熱を注いでいるのではないか、と推測できる。劇中でコルムが作曲する「イニシェリン島の精霊」という同名曲は、アイルランド史へのレクイエムであり、現在も世界で起きている分断と戦争、死が迫りつつあることへの警告を意味してるのだろう。
                            (★★★★カネコマサアキ)

参考文献:『アラン島』J.M シング/柿崎正見・訳(岩波文庫)、『ケルト/装飾的思考』鶴岡真弓(ちくま文庫)、Padraic Colum(wikipedia)ほか

●関連情報

ヴェネチア国際映画祭2020 脚本賞・男優賞(ヴォルヒ杯)受賞2冠




2022年11月18日金曜日

擬音 A FOLEY ARTIST

 映画に命を吹き込む音響効果技師を通して見えてくる台湾映画史


擬音 A FOLEY ARTIST
2017台湾
監督ワン・ワンロー(王婉柔)
出演フー・ディンイー(胡定一)、ほか
配給太秦
上映時間: 100
HP: https://foley-artist.jp/
公開: 20221119() K’s Cinemaほか全国順次公開


ストーリー

台湾映画界で活躍してきたフォーリー・アーティストの胡定一(フー・ディンイー)。彼の40年に及ぶ仕事と、台湾~中華映画史を振り返るドキュメンタリー


レヴュー

映画に効果音をつける職人のことを、フォーリー・アーティストという。サイレントからトーキーへの過渡期、1920年代後半に、アメリカのジャック・フォーリーによって編み出された技法が受け継がれ、その名が配されている。人が歩く時の足音、衣ずれの音、ドアを開ける音、風が吹く音。映画を生きたものにするためには欠かせない仕事だ。
台湾映画界のレジェンド、胡定一は、スタジオ内で画面の質感を想像しながら、様々な道具を選び、巧みな腕捌きで音を生み出していく。キン・フー映画を思い出すような、剣を鞘から抜く音などは金属のヘラを使っている。
 
胡定一は1975年、台湾中央電影に入社(映画技術訓練班3期生)、6年ほどの下積みを経て、王童監督『村と爆弾』(87)、『バナナパラダイス』(89)、蔡明亮『青春神話』(92)、『九月に降る風』(08)など、100以上の作品の録音や効果音を担当し、40年に渡り活躍してきた。少々マニアックな話になるが、彼の先輩には編集の廖慶松、録音技師の杜篤之、2期下に李屏賓がいる。あの台湾ニューシネマを技術面で支えてきた重鎮たちだ。彼らに比べると、胡の名前があまり知られてないのは、台湾ニューシネマの台頭が、「同時録音」技術が確立することと深く関係しているからだと思われる。(オリヴィエ・アサイヤス監督のドキュメンタリー『HHH: 候孝賢』(97)の杜篤之のコメントを参照したい)  また、ニューシネマ以前の台湾映画界では演じてる本人ではなく、別の声優によるアテレコが主流だった、というのも意外だ。

一人のフォーリー・アーティストを通じて、台湾映画史、さらには中華映画史を俯瞰しているのが白眉だ。初期の中国映画トーキーから、台湾ニューシネマの名作群、金馬奨の最優秀音響賞を獲ったロウ・イエ監督『ブラインド・マッサージ』(14)まで、引用される映画の数は相当なものだ。珍しいところでは台湾、大陸中国で大ヒットしたというルーマニア映画『簡愛』(70、ジェーン・エア)の情報もあった。


一方、大陸中国では制作本数の増加に伴い、音響技師たちは多忙を極めている様子が触れられ、現在の台湾の状況とは対象的だ。職人的要素が強く、他の部門へのシフトが難しい、つまり「潰しがきかない」フォーリーという仕事には、後継者がほとんどおらず、胡に至っても最近ようやく女性の弟子がついたくらいなのだ。部門整理で中央電影を解雇され、フリーとなった彼がデジタル時代にこれから活躍できる場所があるのか、若い世代への技術の伝受は進むのか、今後も見守りたいところだ。アニメ『幸福路のチー』(17)も彼の仕事だと知り、少し安堵している。

(★★★ カネコマサアキ)


関連事項 

王婉柔(ワン・ワンロー)監督の次作、『千年一問』(20)は、日本でも知られる漫画家・鄭問(チェン・ウェン)の人生を追ったドキュメンタリー。こちらもおすすめだ。

2022年11月12日土曜日

あなたの微笑み

くすぶる映画監督が自作を売り込みにいく映画館巡りの旅


2022年/日本
監督:リム・カーワイ
出演: 渡辺紘文、 平山ひかる、 尚玄、 田中泰延
配給::Cinema Drifters
上映時間:103分
公開:11月12日(土)よりシアター・イメージフォーラム、
12月3日よりシネ・ヌーヴォ他全国順次公開

●ストーリー

栃木の田舎町で、くすぶり続ける映画監督の渡辺紘文。映画製作団体「大田原愚豚舎」を旗揚げし、東京国際映画祭ほか数々の受賞歴を持つ渡辺は、自他ともに認める“世界の渡辺”である。しかし“世界の渡辺”もいまは脚本も書けず、大手映画会社から依頼がくることもなく、地元の仲間たちと悪態をつきながら日々を過ごしている。ある日、旧知のプロデューサーから、世界的映画監督の代打で沖縄での映画制作の話が舞い込む。久々の映画制作に浮足立つ渡辺が沖縄に向かうと、「いますぐ俺を主人公にして映画を作れ」という“社長”に高級ホテルに缶詰めにされるが…。


●レヴュー

渡辺紘文監督の『プールサイドマン』(16)を東京国際映画祭のラインナップで知り、ぜひ観たい、と思いつつ機会を逃している。
劇中にもあったが、自主映画監督の特集上映は一週間ほどの期間しかなく、タイミンングが合わなかったりすると見逃してしまうことも多い。しかし、作品を見ずとも、映画ファンなら、渡辺監督が栃木の田舎町で映画製作集団「大田原愚豚舎」を立ち上げ、地元に密着した作品を撮っていることは、よく知られてることなのではないだろうか。

本作『あなたの微笑み』は、その渡辺紘文監督自身が、「監督自身の役」で登場する。自主映画監督が自分の作品を劇場へ売り込みに行く、という物語だが、一風変わったフィクションとドキュメンタリーが混ざり合った虚実皮膜な作品である。自主映画(あるいはインディーズといったほう良いだろうか)監督がどのような生活を送り、生計を立てているのかが実によくわかる内容だ。

沖縄のパートまでは、いかにも脚本があり、演じてる、という感じだが、本州から北海道にかけて、監督が自分の作品を上映してほしいと営業を兼ねて映画館巡りをする部分は、かなりドキュメンタリー寄りである。一方で、劇中には「映画のミューズ」(平山ひかる)が様々な役柄に変化して登場し(さながら『華やかな魔女たち』(67)のシルヴァーナ・マンガーノのよう)、フィクションであろうとする。この虚実のバランスがとても良く、この作品の魅力になっている。冒頭はフィクション然としていたものが、だんだんと独自の映画的リアリティを獲得していくのだ。

この映画のもう一つの主役は、全国の個性的な映画館とそこで働く人たちだ。南国の沖縄・首里劇場から、大分・ブルーバード、福岡・小倉昭和館、鳥取・ジグシアター、兵庫・豊岡劇場、雪が舞い落ちる北海道・サツゲキを経て、日本最北端の映画館・大黒座まで…。全国にはこんなに多様で素敵な映画館があるのか!と感嘆せざるえない。だが、コロナ禍も相まって、既に閉館した所もあるというのが実情である。悲しいかな、貴重なアーカイヴ映像となりつつある。


この欄でも何度か言及してる監督のリム・カーワイはマレーシア出身の華人。Cinema Drifter(映画流れ者)を名乗るだけあって、経歴、半生がまさに「旅人」である。大阪大学基礎工学部電気工学科卒業後、通信業界を経て北京電影学院監督コース卒業。北京、香港、大阪、バルカン半島で作品を作り、大阪三部作のひとつ『カム・アンド・ゴー』(20)は全国公開されたので、ご存知の方も多いと思う。また、香港映画祭を主催、配給も手がけ、八面六臂の活躍に目が離せない。
そんな監督ゆえ、外側からの目線、日本の状況や配給システムに目がいくのだろう。映画製作者から劇場を通して観客に届けるまで、映画愛に溢れた作品である。

(★★★☆カネコマサアキ)


2022年8月22日月曜日

サハラのカフェのマリカ

サハラ砂漠に行き交う人々を受け入れる小さなお店

そこはまるでオアシスのような場所だった



143 Sahara Street

2019年/アルジェリア・フランス・カタール
監督・撮影:ハッセン・フェルハーニ
出演:マリカ、チャウキ・アマリ、サミール・エルハキム
配給:ムーリンプロダクション
上映時間:90分
公開:2022年8月26日(金)から ヒューマントラストシネマ渋谷他 全国劇場公開
HP:https://sahara-malika.com


●ストーリー 

 アルジェリア、サハラ砂漠。そこに佇む一軒の雑貨店兼カフェはマリカという女性が一人で営んでいる。
ほとんどの営業時間中に客が来ることはなく、ネコと共に時間を過ごす。たまにトラックの運転手や旅人がやってくるとコーヒーやおやつを提供して、他愛もない世間話に興じる。
 日が暮れると、砂漠の真ん中の雑貨店に灯されるロウソクだけが光を放つ。そして彼女は自分の人生を語り出すのだった・・・


●レヴュー 

 サハラ砂漠と聞いて、どこまでも広がる砂の大地というイメージしか浮かばないのだが、その中に建つ一軒の雑貨店兼カフェが本作の舞台。そこで愛猫と暮らす高齢の女主・マリカが主人公である。
 アフリカ大陸北部の3分の1を占めるサハラ砂漠は、南北1,700キロメートル、東西4,800キロメートル。面積は約1,000万平方キロメートルで、アメリカ合衆国とほぼ同じ広さのとてつもない大きさの砂の大地だ。不毛の地のような想像をしてしまうが、そこは複数の国にまたがっていて、多数の民族が暮らしている。南北を縦断するトランス=サハラ・ハイウェイという大きな道路が整備されていて、人やモノが行き交っている。マリカのカフェはその道路沿い、アルジェリアの中央辺りにあるらしい。原題の『143 SAHARA STREET』はマリカの店の住所になる。

 彼女の店には、休憩や買い物のためにさまざまな人が訪れる。物資を運ぶトラック運転手、親戚を訪ねるために車を走らせてきた人、バイクで旅している女性ライダー、旅芸人らしき一団、過去には危険な人物が立ち寄ったこともあるらしい。民族は多種多様。マリカのオムレツが目当ての常連客もいるし、その時だけの出会いもある。客らは食事をしたり休息をとったりしながら、マリカと何気ない会話を交わして去っていく。マリカの小さな店に据えられたカメラは、定点観測をするように時折やってくるそうした人々の姿とマリカの日常を有り体に捉えていく。
 マリカは悠然とした風で客を迎え、客は皆どこか安堵の表情をしているように見える。砂漠を走る途中で立ち寄るその場所もマリカという存在もまさにオアシスなのだろう。人が心の拠り所に求めているもの、それが伝わってくる作品だと思う。
 
 監督は自身の旅の途中でマリカと出会い、映画を撮ることを決めたという。本当に何もない砂漠の中にポツンと佇むマリカの店。そのことがはっきりとわかるように、マリカの店をぐるりとカメラが映し出す映像やランプの灯りが窓から漏れるシーンは美しく印象的だ。 
 マリカの店の近くに巨大が給油所兼休憩所が建設されるなど、周辺の社会状況の変化も見えてくる。マリカについての詳細は語られず、想像するしかないのだが、マリカ自身にとってもかけがえのないその店は今も続いているのだろうか、私たちから遠く離れた世界に思いを巡らす。
(★★★☆加賀美まき)


2022年8月20日土曜日

みんなのヴァカンス

ヴァカンスの呪いを乗り越えろ!
ギヨーム・ブラック監督が描く鮮やかな青春映画



原題:À l’abordage
2020年/フランス
監督・脚本:ギヨーム・ブラック
配給:エタンチェ
上映時間:100分
公開:8/20(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
HP : https://www.minna-vacances.com/


●ストーリー

夏の夜、セーヌ川のほとりで、フェリックスはアルマと出会い、恋に落ちる。夢のような時間を過ごすが、翌朝アルマは家族と共にヴァカンスへ旅立ってしまう。 フェリックスは、親友のシェリフを誘い、相乗りアプリで知合った学生エドゥアールを道連れに、アルマを追って南フランスの田舎町ディーに乗りこんでいく。しかし、車が故障してから、暗雲が立ち込める。アルマは予期せぬ彼らの訪問に戸惑っている様子だ・・・。

●レヴュー

新型コロナ感染予防のための行動制限がない夏休みということで、今年は旅行に出かけている人も多そうだ。自分のように、どこへも出かける予定のない人も少なからずいると思うが、映画館に篭ってヴァカンス気分に浸るのも良いかもしれない。

ヴァカンス映画といえば、エリック・ロメールの『海辺のポリーヌ』(83)『緑の光線』(86)を真っ先に思い出すけど、そういえば、ロメールの処女長編作『獅子座』(55)もある意味ヴァカンス映画だったな、と思い出した。親戚から遺産が入る予定だった男が、当てがはずれ文無しになり、ヴァカンスシーズンをパリで浮浪者同然に過ごすというストーリーだ。
ここまで悲惨ではないが、ヴァカンスには良いことばかりでなく、トホホな出来事がつきまとうことは、誰もが経験することだろう。天候に恵まれなかったり、同行した家族や友人と喧嘩したり、恋人とは別れるきっかけになったり、・・・。僕は、それを「ヴァカンスの呪い」と名付けたい。(当然、ヴァカンスへ行けなかった人の怨念が含まれる)

本作で新鮮に感じたのは、アフリカ系移民の若い労働者をメインキャラクターにしていること。ヴァカンス映画は、たいてい中流以上の白人が主人公に据えられていることが多いので、彼らがどういう思いでヴァカンスを過ごすのか興味を引く。もちろん、ママから「子猫ちゃん」と呼ばれる裕福そうな家庭で育ったエドゥアールが、「相乗りアプリ」で女装したフェリックスたちとマッチングし、巻き込まれる形で伴走するのだけれど。(彼は常連俳優ヴァンサン・マケーニュのヤング版といった風貌だ)

彼の運転する車が故障するあたりから、雲行きが怪しくなってくる。「ヴァカンスの呪い」は既に始まっているのだ。宿泊所は小学生が使うようなキャンプ場で、狭くて小便くさいテント寝泊まりするハメに。フェリックスは入れ上げたアルマに再会することはできたが、当初の熱はなく軽くあしらわれ、ギクシャクする。一方、友人思いの温厚なシェリフは幼な子を連れた既婚女性と仲良くなるが、「お前は恋愛に発展性のない女ばかりを好きになってる!」とフェリックスに罵られる。エドゥアールはひたすらカラオケで歌っている。男3人はフラストレーションをためながら、ヴァカンスが終わりに近づいていくが、ちょっとしたマジックが起きる。

ロメールの後継者と目されるギヨーム・ブラック監督が注目を浴びるきっかけになった中編『女っ気なし』(11)は北部の漁村オルトにヴァカンスに訪れた母娘と、彼女たちが滞在するアパート管理人シルヴァン(ヴァンサン・マケーニュ)との真剣かつトホホなドラマが印象的だった。本作は海ではなく、ドローム川周辺の山が舞台だが、『女っ気なし』の構造を踏襲、発展させたような群像劇だ。未見だが『7月の物語』(17)と同様、フランス国立高等演劇学校の学生たちと作り上げた作品で、学生たちの身の上話から着想を得たそうだ。

同館では、ギヨーム・ブラック監督特集も組まれており、上記のほか、代表作『やさしい人』(13)、 短編『遭難者』(09)『勇者たちの休息』(16)も上映される。この機会にぜひ。

(★★★☆カネコマサアキ)


●関連事項

 第70回ベルリン国際映画祭国際映画批評家連盟賞特別賞(パノラマ部門)
2020年シャンゼリゼ映画祭批評家賞(フランス映画長編部門)
2020年カブール映画祭グランプリ(長編部門)

2022年7月17日日曜日

Blue Island 憂鬱の島

 文化大革命、六七暴動、天安門事件など、過去を紐解きながら、香港人としてのアイデンティティを探る『乱世備忘 僕らの雨傘運動』監督の意欲作



2022年/ 香港・日本
監督・編集:チャン・ジーウン
配給:太秦
上映時間:97分
公開:7/16(土)よりユーロスペースほか全国順次公開 
HP : blueisland-movie.com


●レヴュー

先月の6月4日(天安門事件が起きた日である)、マレーシア出身のリム・カーワイ監督らが主催する『時代革命の少年たち』(2021年/レックス・レン、ラム・サム監督)という香港映画の上映会があったので、参加してきた。
ストーリーを簡単に説明すると、2019年の民主化デモに参加し、警察に逮捕されたことをトラウマに抱える17歳の少女が、死をほのめかして行方不明になり、デモで居合わせた少年達グループが彼女を探し回るという劇映画だ。当時、抗議の自殺をする若者が相次いだという事実を背景としており、登場人物の様々な家庭事情も描かれていた。
場内には、在日の香港人たちも駆けつけており、上映後のトークショーも熱気を帯びていた。上映中、すすり泣きの声も聞こえてきた。映画の終わりは、決してバッドエンドではなく、希望を感じられるものではあったが、彼らにとってはまだ生々しい記憶であり、デモの灯火はまだ消えていなのだ、と実感した。

さて、本作『Blue Island  憂鬱の島』は、以前ここでも紹介した『乱世備忘 僕らの雨傘運動』(2016)を監督したチャン・ジーウン監督の新作だ。今回は、ドキュメンタリーとフィクションを交えた斬新なスタイルで、過去の民主化運動と、それに関わりのあった実在の人びとを取り上げ、現在に至る香港人のアイデンティティを浮かびあがらせようと試みる。具体的には、雨傘運動に参加した若い世代の俳優が実在の人物を演じ、過去の事件を映画化するという過程を見せるというもの。この方法は、スタンリー・クワン『 阮玲玉』(1993)やジャ・ジャンクーの作品群を思い出させる。全般、方法論に加え、画も素晴らしかった。

ビクトリア・ハーバーで水泳を楽しむ老人チャン・ハックジー(陳克治)74歳。1968年、彼と恋人(現在の妻)は、中国本土から、海を泳いで香港に逃れてきた。その様子を97年生まれの若手俳優たちが演じる。その映像は、やはり文化大革命から香港に逃れる筋書を持った唐書璇『再見中国』(1972)のシーンとよく似ていて、つながりを感じた。

セッ・チョンイェン(石中英)、ヨン・ヒョッキッ(楊向杰)70歳。彼らは16歳の時、共産主義寄りの文芸誌を配布したことで、投獄された。当時信じていた共産主義が、現在では形を変え抑圧する側になっていることを複雑に思っている様子。日本ではあまり知られていない六七暴動は、文化大革命に刺激を受けた香港の親中派の労働者が、香港イギリス政庁に抵抗するデモを行い、それが7か月に及ぶ暴動に発展。1,936人が逮捕・起訴され、832人が負傷(うち警察官212人)、51人が死亡するという事件だ。

ラム・イウキョン(林耀強)54歳。1989年、学生支援のため訪れた北京で天安門事件に遭遇。中国民主化運動の敗北感をひきずって生きている。彼が実生活で人と会い吐露する会話に同年代としてシンパシーを感じる。
そして、映画は最後のパートで、有名・無名は問わず、意外な人たちを登場させる。これには驚いた。


翻って、日本はどうか。
僕は去年から、この国がジョージ・オーウェルの『1984』で描かれた未来社会の更に上をいくディストピア国家になってしまったと感じている。香港は問題の所在がはっきりっしているだけマシに見えるが、日本国民の大半はその問題の所在さえわかっていない。巧妙に隠されているのだ。「伝えない」「知らせない」という言論統制をするマスコミ。”洗脳”という言葉がぴったりかもしれない。データ改竄、ワクチンのリスクを伝えないまま幼い子供にまで打とうとする勢力(民族浄化か?)、一方的なウクライナ報道、改憲勢力3分の2を獲得した参院選、安倍元首相の銃撃事件から露わになったカルト教団との関係…。どこか誰かのシナリオ通りな感じもするし、不気味で不穏だ。この国は一体どこへ向かおうとしてるのか。「憂鬱の島」とは、この国の事ではないだろうか?

(★★★☆カネコマサアキ)


関連事項

2019年の香港民主化デモの記録を描いた大作『時代革命』(2021) も8月13日(土)に同館にて緊急公開。こちらも合わせてみると、本作のラストがより響いてくると思う。