2015年11月28日土曜日

アンジェリカの微笑み


The Strange Case of Angelica




2010年
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ(『永遠の語らい』『コロンブス 永遠の海』『ブロンド少女は過激に美しく』)
出演:リカルド・トレバ(『コロンブス 永遠の海』『ブロンド少女は過激に美しく』)、ピラール・ロペス・デ・アジャラ(『女王フアナ』『シルビアのいる町で』)
配給:クレスト・インターナショナル
公開:125日よりBunkamuraル・シネマほか


●ストーリー

ポルトガルのドウロ河流域の小さな町。夜半、町に一軒しかない写真館に、町の富豪の執事が撮影の依頼をしにやってくる。しかし店主は不在で、代わりに町に仕事でやって来て写真が趣味の青年イザクが紹介される。イザクが山手にある館に着くと、若くして死んだ娘アンジェリカの死を悼む人々が集まっていた。白い死に装束に身を包んだアンジェリクを、カメラに収めるイザク。しかし死んだはずのアンジェリクがイザクに微笑みかけた。それからイザクの頭から、アンジェリクが離れられなくなり、彼は死者に恋していく。

●レヴュー

知っている人はよほどの映画好きかもしれないが、「ポルトガルの生んだ至宝」と呼ばれている映画監督マノエル・ド・オリヴェイラ。惜しくも201542日に亡くなったが、享年106歳。死の直前の2015年作の短編が遺作で、まさに“生涯現役”を貫き通した人である。初監督作品が1931年の『ドウロ河』で、それ以来、不遇だった6070年代をのぞけば、ほぼ毎年一作ペース、とくに90年代以降の活躍ぶりはすさまじい。日本でも90年代以降の作品は短編を除き、ほとんどが公開されているのではないだろうか。

さて、本作はそんなオリヴェイラ監督が2010年に撮った作品。脚本は1952年に書いたものがベースになっているが、そのときは主人公のユダヤ人青年に、第二次世界大戦時のユダヤ人迫害の過去を重ねていたようだが、その部分は現代には合わないと変更している。しかしそもそもこの映画、いつの時代か見ていてよくわからない。オリヴェイラ監督はインタビューで「現代」と言っているが、登場人物の服装や部屋の内装、ディティールは1950年代に見える。インターネットどころか、映画の世界にはテレビもない。有線の電話さえ普及していないように見えるし、人々の暮らしも現代に見えない。今どき、カメラを持っている人を探すのに苦労したりはしないだろう。しかし町の風景などは、とくに古く見えるように手を加えてはいない。それもヨーロッパの田舎町だから成り立つのだろうが。

話はまるで、日本の昔の小話のようだ。雨月物語とか芥川龍之介とかの。主人公は死者に恋をしてしまう。死んだアンジェリカの微笑みの表情を撮った瞬間、彼の心の中にそれは“生”を呼び起こす。生前のアンジェリカを彼は知らないし、どんな性格だったかも知らない。ただ、絵画の人物に恋してしまうように、すべては自分の想像の産物なのだ。客観的にみればそれば、肥大した自己愛だろう。しかし映画はイザクの主観なので、映画ではアンジェリカが夜はイザクの部屋に逢いにきて、空を二人で飛ぶ。そこではふたりは愛の言葉を交わす。これはどういうことなのか。

人は死んだら終わり、ということをオリヴェイラ監督は否定する。100歳を過ぎて死期が近づいた監督は、魂を信じ、その愛が生き残ることを信じたのだろうか。アンジェリカは登場したときにはすでにこの世の人ではなく、イザクは愛をかなえるためには、アンジェリカのもとに行かねばならない。つまり「死んで結ばれる」ことで、イザクの愛は成就し、イザク的にはハッピーエンドを迎えることになる。しかし、オリヴェイラ監督の答えはわからない。まだ彼の人生の半分しか生きていない僕には、到底考えが及ばないのかもしれない。ただ、いつものオリヴェイラ作品のように、観終わった後はキツネにつままれたような気になることだけはまちがいない。また、それも気持ちがいいのだが。★★★

●関連情報

主人公イザクを演じるのは、オリヴェイラ監督の実の孫で、オリヴェイラ作品の常連のリカルド・トレバ。アンジェリカを演じるのは、『女王フアナ』で一躍有名になったスペインの女優ピラール・ロペス・デ・アジャラ。彼女はコロンブスの子孫で、貴族の生まれとか。