2015年9月26日土曜日

草原の実験


Ispytanie


草原に暮らす美しい少女とその父。
そこに生き、暮らす人々がいた。
セリフなしの詩的な映像に酔い、結末に驚く




2014年/ロシア
監督:アレクサンドル・コット
出演:エレーナ・アン、ダニーラ・ラッソマーヒン、カリーム・パカチャコーフ
配給:ミッドシップ
公開:926
劇場情報:シアターイメージフォーラム


●ストーリー


風が吹き抜ける、ロシアかモンゴルかの草原地帯。その小さな家に、少女は父親とふたりで暮らしていた。働きに出かける父親を見送った後、少女は壁の世界地図を眺め、スクラップブックを開いて、遠い世界に思いを馳せていた。そんな彼女の前にひとりの金髪の少年が現れ、前から彼女を好きだった地元の少年と、ほのかな三角関係が生まれる。しかし、そんな日々にも、少しずつ暗い影が差していた。

●レヴュー


「衝撃のラスト」と語るのがすでにネタバレかもしれないが、この映画はラストにつながるある史実の知識がある程度あったほうが、いいかもしれない。でなければ映画が終って、なかにはキョトンとしてしまう人、あるいは「これはSF映画?」と思ってしまう人もいるかもしれないからだ。まずは、下記の「映画の背景」ぐらいの知識を頭に入れておいて、映画を観ている間は忘れて、最後にそれが背景にあったことを思い出せばいい。

映画は、一切のセリフを排した、美しい詩のような作品だ。舞台となるのは草原にぽつんとある一軒の家とその周辺だけ。町や村は一切出て来ないので、これがいつの時代の話かさえも、よくわからない。登場人物も、主人公の少女とその父、少女に恋心を抱いているモンゴル系の地元の少年。やはり少女に恋をするロシア系の金髪の少年の4人が中心とシンプルだ。セリフないし、時代や場所を特定できるもの排している事から、寓話性も高いし、何よりもこの場所がこの世のものらしい俗っぽさとは無縁に見えてくる。そして少女。父親は典型的なモンゴリアンのおじさんだが、その娘は血がつながっているとは見えないほど美少女(笑)。演じるエレーナ・アンは、韓国人とロシア人のハーフとのことだが、まだ少女らしい(撮影当時14歳)奇跡的な一瞬を、カメラは捕らえている。『初恋のきた道』でチャン・ツィイーを初めて見たときぐらいの、インパクトがあるのだ。

セリフはないが、映像と音は多くの言葉にはならない感情を物語る。誰もいない家で、世界地図を眺める少女。草原を歩く少女の前に、馬に乗った近くの少年が迎えにきて見つめあう。少女は少年の気持ちを知りながら知らない振りをする。父親のもとを旧友たちが尋ねてきて、父親が飛行機の操縦席に楽しそうに座る。かつて、彼らは戦争で戦った仲なのだろうか。ファンタジーの世界のような楽園だが、そこに次第に暗い陰がさしてくる。父親はどこに働きに出ているのだろう。鉄条網の先には? 雨の夜に突然やって来て、父親の身体を調べた男たちは? 父親が具合が悪くなった時、少女が猟銃を取り出す。どうするのかと思ったら、少女はそれを空に向けてパーンと撃つ。それが草原の伝達手段なのだ。音を聞いた少年が馬を駆って来る。印象的なシーンだ。

不吉な前兆は、中盤以降に始る少女をめぐる少年たちの三角関係のドラマに覆い隠される。しかし、1時間半に渡って描かれたこの楽園が、二度と戻って来ないそのラストには打ちのめされる。ニュースにもならなかった事件だが、そこに人間らしく幸せに生きていた人たちがいたことを忘れてはならないと。このぐらいの知識があれば十分。あとは映画館で、少女と一緒に時間を過ごして欲しい。カザフスタンで、かつていたかもしれない人々と。
(★★★★)


●映画の背景


1949827日、旧ソ連のセミパラチンスク(現カザフスタンのクルチャトフ)でソ連最初の原子爆弾が爆発した。機密保持のため、住民への避難勧告はなされなかった。また、この場所が選ばれたのは、担当者がこの地域を「無人」と偽って選んだからだという。
[参考]
セミパラチンスクのドキュメンタリー 書き起こしリンク


●関連情報


2014年の東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞とWOW WOW賞を受賞